2022年の終わりに書いてた文章

2022年を終えるにあたって、自分のこと。

 

ここ一年の世の中のあれやこれやで気弱になってしまったのか、とても過去のこと、とりわけ生まれ育った場所のことを知りたい、思い出したいという気持ちが大きくなりました。家族との関係は良好で、教育環境住環境も悪くなく、暮らしてた地域も、田舎特有の問題は多少あれども暖かい場所でした。それでも子供の頃から10代の途中まで、集団の中で何か浮いてしまって、人とのやり取りがおかしな感じになってしまう自分が嫌で堪りませんでした。嫌だと思っているのに、馴染み切ることも我が道を行く事もできず、早くこの町から、土地から、出て行きたいばかりでした。実際、進学や仕事に就くことによって、実家に暮らしていても、地元のコミュニティにはほぼ関与しない生活を送ることになるのですが。その後本当に別の土地で生活をすることにもなり、現在に至ります。

良い思い出も嫌な思い出もたくさんある故郷。若い頃は自分は絶対にノスタルジックにここを思い出したりはしないぞ、と思っていたのですが、コロナ禍で気持ちが弱ってしまったのか、あの町のことを振り返りたくなるんですよね。うんざりしてた日々の事を懐かしく思うなど、これは弱気になったというかほぼ老化だと思います。「自分はこんなものじゃない、この場所が許せない」と思うのも、気持ちのしなやかさがあってこそのことです。自分はそういう何かを認めないぞ!という不満な事を跳ね返す気持ちが「今は」枯渇しているのか、それともずっとこのまま、丸くなったというよりはただ気持ちが磨耗してるだけの状態が続くのか、どうなるのかは分かりませんが、どちらにしろ弱ってしまっているな、情けないなという気持ちです。

とは言え、帰れるのなら帰るのか?と聞かれれば、帰らないだろうなという気もします。例え帰ったとしても、きっとそこは私が育った町とは変わってしまっていると思います。でもそれで良いんだと思います。

時々思い出すけれど、昔の様子を調べるけれど、その町と同じものは、もうこの世には存在しない。中心街はシャッター街どころか、区画整理されて新しい道や建物が出来ている。だけど今住んでいる人達は、それで快適に暮らしている事を知っている。時々尋ねて帰るのは、心の中だけにある、あのつまらないけれど希望だけはあった町。それでいいのです。